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第11回その後:相談者60代、対象者(母親)80代

順調だった呼び寄せ生活が一変。母に命の危機が その後の芹沢さんと母【第2話】

記事の発言・監修・ライター
「オヤノコト」編集部
坂口鈴香

20年ほど前に親を呼び寄せ、母を看取った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて考えるように。施設やそこで暮らす親世代、認知症、高齢の親と子どもの関係、終末期に関するブックレビューなどを執筆

東北地方から母親(88)を呼び寄せて自宅での介護をはじめた芹沢尚美さん(仮名・62)。母親は、芹沢さん宅での生活にも慣れ、デイケアでも友人ができて楽しく通っています。順調な呼び寄せ生活でした。
(第1話はこちら)

命の危機を乗り越えたものの寝たきりに

ところが、順調だった呼び寄せ生活が一変しました。

昨年の秋のことです。母親が体調を壊し、何度かかかりつけ医を受診していたのですが回復しません。紹介された総合病院を受診したところ、内臓に炎症が起きていて、さらに多臓器不全、敗血症を起こしていると診断されたのです。

「一時は命も危ぶまれ、ICUに入りました。幸い、改善したので一般病棟に移ることができたのですが、この1カ月の入院ですっかり寝たきりになってしまったんです」

高齢者は急変するし、入院が長引くと筋力も衰えると言われていますが、芹沢さんの母親も同様でした。その後も何度か命の危機が訪れ、何とか持ちこたえることができたのですが、それまでの母親とは面変わりしてしまいました。

「死にそうな母の姿を前にして何度泣いたかわかりません。面会に行っては『まだ私を一人にしないで』と母に訴えました。母が東北の実家に置いたままで気にしていた仏壇も我が家に運ぶことにして、ご先祖様にも必死でお願いしたんです」

呼び寄せ生活は順調だったと芹沢さんは言っていましたが、話を聞くと決して楽だったわけではなかったことに驚きました。

「夜中は、ひどいときで30分おきに起きて、ポータブルトイレでの排泄を介助していたんです。だから、入院当初は母がいないのに呼ばれてる気がして、起きて母の部屋を見に行きました。ベッドが空なのを見ては、また泣いて……」

元気なころの自分を知っている人のいる施設はイヤ

1カ月後、退院できることになったのですが、母親は自宅に帰ることができませんでした。体力も筋力も衰えていた母親は要介護5になっており、自宅復帰を目指してリハビリをするために、介護老人保健施設(老健)に入ることになったのです。

老健を選ぶに当たり、まず芹沢さんが候補としたのが、母親が通っていたデイケアを運営しているリハビリ病院併設の老健でした。そこなら顔見知りの職員もいるし、デイケアの友人とも会う機会があるかもしれないから、母親も安心だろうと考えたのです。デイケア利用者なので、入所するのにも融通が利きそうでした。

「ところが、母がその施設はどうしてもイヤだと言うのです。元気なころの自分を知っている人のいる施設には行きたくないと。そう言われると、母の気持ちもわかるだけに、候補から外すことにしました」

次に当たった老健も不合格だったと言います。

「雰囲気が病院っぽいんです。特にイヤだったのが、入所者が日中もレンタルのスウェットを着させられていることでした。日中くらい、私服に着替えて過ごしてほしい。1日中スウェットのままだと、自宅に戻ろうという意欲はなくなってしまうだろうと思ったんです」

芹沢さんの、老健に望むポイントは「自宅に戻れるか」という点に絞られました。

(第3話に続きます)

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